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広島家庭裁判所 昭和31年(家)93号 審判

申立人 村山キク(仮名)

相手方 村山一夫(仮名)

主文

相手方は申立人と夫婦として同居せよ。

相手方は、昭和三十年十一月三日より申立人との婚姻継続中一ヶ月につき金三千円づつの割合による生活費を、昭和三十一年五月までの分は即時に、同年六月以降の分は毎月末日限り申立人の住所において文払え。但しこの相手方の義務は、相手方が申立人と同居し夫婦としての正常な生活に復るかまたは申立人が自活するに足る収入を得るに至つたときは消滅する。

本件の費用中金千四百五拾六円は相手方において負担し直に申立人に送金して支払え。

理由

申立人は相手方に対し同居並に協力扶助の調停を申立て、その原因として、申立人は昭和十五年○月○日婚姻をし、その間に長男明、二男栄二、長女トモ子、二女ヨシ子を出産した。相手方との夫婦仲は昭和二十八年迄は円満に行つていたが、昭和二十九年旧正月頃相手方の夜更かしが片西サヨ方に出入するためであることに気付き注意をするようになつてから兎角、夫婦仲が面白くなく一例を挙れば相手方は一日中無言で食事も自らこれを盛り、申立人に盛らせない。また申立人に離別して実家に帰るよう屡々申向けるなど冷い仕打が数ヶ月も続いたので申立人は思い悩んだ末昭和二十九年三月頃消毒用の農薬を飮み自殺を図つたが果さなかつた。その際相手方は狂言自殺であるといつて申立人に暴行をし遂には頭を足蹴にし、そのため申立人は失神してしまつた。申立人が生気づいた時は、申立人の実父や近親者が集まつていたのであるが、一先づ申立人は里方に引取られることになり爾来実弟である広島市○○町の平田義政方に身を寄せるに至つた。しかし申立人は結婚以来十数年来相手方に純情を捧げかつ難苦を共にして来たものであり、相手方から離別される理由はなく、四人の子に対する愛着も継ち難いものがあつたので同年五月三日相手方の兄正夫の容認により相手方の不在中相手方宅に帰来したところ、同日戸外から帰り来た相手方は相手方の許容なくして帰来したというので殴る蹴るの暴行を加え、ために申立人は身体いたるところに痛みを生じ到底同居し得ないので再び前記実弟方に身を寄せ今日に至つている。このような次第であるが申立人は相手方と離婚する意思がないので夫婦の同居及び共力扶助の調停を求める。若し相手方が誠意ある同居に合意しない場合は、申立人は相手方の暴行のため右上博部神経痛、両側主骨神経痛並に脚気病を患い労働に堪えないし、生活の手段も存しないので相手方において扶養するよう調停を求めるものであると陳述した。

相手方は、申立人主張の時期に婚姻し四人の子を挙げたこと、昭和二十九年以来家庭の空気が冷くなつたこと、同年三月頃から別居している事実は争はないがその他の申立人主張の事実は認めない。申立人は相手方と性格も合わないので婚姻を継続することはできない。従つて同居に応ずることもできぬし、現在職業を失い収入はなく兄正夫の援助によつて潮く生計を推持しているに過ぎぬから申立人に生活費を給することもできぬと陳述した。

広島家庭裁判所調停委員会は、昭和三十年十一月二日を初回とし昭和三十一年一月二十五日まで三回に亘り調停のため双方に熱心勧告を誠みたが当事者は、互に自己の意見を固執して譲らず調停成立の見込がなく竟に調停不成立に終つた。そこで本件は、民法七百五十二条による事件として家事審判法第二十六条により審判事件に移行することになつた。

そこで審案するに当事者双方の主張及び記録添付の戸籍謄本の記載によれば申立人と相手方は、昭和十五年○月○日婚姻し、その間に二男二女を出産し昭和二十八年頃までは家庭に大なる風波もなく経過した事実、昭和二十九年三月以来申立人と相手方は事実上離別し申立人は単身広島市○○町方面に居住している事実については、当事者間に争のないところである。進んで申立人と相手方の家庭生活破綻の原因が奈辺に存するかについては、申立人は相手方が件外片西サヨと常ならぬ関係にありといい、相手方はこれを否認するので俄にその真否を把握し難いものがある。しかし村山ヨネの供述及び片西サヨの供述自体によつても認められるように、相手方とサヨとは共に進駐軍に勤務していた昭和二十三年から知り会い、昭和二十九年頃相手方が事業を初めるやサヨも相手方の事業場で共に事業に従事する等特に懇意の間柄であつたことが認められるし、その相手方とサヨとの交際状態が少くとも他人をして常ならぬ関係にありと推測させる程度のものであることは、家庭裁判所調査官坂田正五の調査報告書によつてこれを推認することができる。さすれば申立人が相手方とサヨとの関係につき種々疑惑を懐き、相手方やサヨの行動に対し注意干渉することも理由なしとは為し難いのであり、このような場合相手方が抗争するようにサヨとの関係に疚ましきところなしとすれば、あらゆる手段方法をつくし隱忍して申立人の疑惑を解き、夫婦生活の円満を期すべきは婚姻当事者の一員としての当然の義務と謂はなければならない。しかるに記録添付の医師村田一郎の診断書の記載、同角田正明の診断書の記載、証人平田次郎、平田義政の供述、家庭裁判所調査官三吉寿人の調査報告書の記載、申立人本人審訊の結果に徴すれば、相手方は申立人の注意干渉に対し却つて反撥し、それを機として申立人に甚しい虐待暴行を加え申立人をして同居に耐えないように仕向けたものであること、および申立人は昭和二十九年三月以来その弟平田義政方に寄寓し、生活の手段もなくかつ相手方の暴行に基く身体障礎のため労動に堪え得ず義政の扶けにより生活していることが認められる。

以上認定の通りであつて申立人と相手方との婚姻はいまなお継続しており、相手方において申立人との同居を拒むべき正当の理由を認めることができないので相手方は、誠意をもつて申立人と同居し協力しなければならない。また申立人は相手方との婚姻以来十数年間独立して生活する手段を抛ち専ら家庭にあつて育児と家事に専念して来たものであることは申立人の供述によつて認め得られる。このような場合申立人が相手方と別居しても直ちに生活の途が得られるものでもないし、殊に現在身体障礎のため労動に従事し従ないものであることは証人角田正明の陳述及び申立人の陳述によつて、これを認め得られる。従つて相手方は、申立人が協力扶助を求めるため調停を申立て第一回の調停期日が開かれた昭和三十年十一月二日の翌日以降、申立人と相手が正常な同居生活をするか、申立人が生活を維持するに足る収入を得るに至るまで、当裁判所が通常人一ヶ月の最底生活費と認める金三千円づつを申立人に給付する義務ありと認める。相手方は目下失業中で兄正夫の援助により生活を維持している現状であるから、申立人を扶養することはできないと抗争するけれども申立人本人の供述、家庭裁判所調査官三吉寿人、同岡本達之の調査報告書の記載及び証人松山三郎の供述を綜合し、相手方は、申立人にその帰来を拒否した翌日である昭和二十九年五月四日その主要不動産である家屋の所有権を実兄正夫に移転し、その後間もなく事業を廃止し機械器具を松山三郎に寄託し今日に至るまで無資産、無収入の外形を呈しているけれども相手方はなお何等かの方法で自己の生活を維持しているものである事実を認めることができる。これ等財産の移転又は事業廃止行為の動機如何はしばらくこれを措くも、夫婦間の共力扶助義務は、自己と同一水準において他の一方の生活を維持すべき所謂生活保持の義務であり、相手方が自らの生活を維持している限り前叙のような事情の下において申立人の最底生活に必要な生活費を負担すべきは当然の理と謂はなければならないからこの点に関する相手方の抗弁は採用しない。そこで家事審判法第九条同第二六条により主文の通り審判する。

(家事審判官 太田英雄)

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